No.20191003 HSPの起源とバンダナ先生がHSPの研究を始めた起源

 

1. HSP (ヒートショックプロテイン) の起源

 

HSPがいつ頃から存在したかは、確かな確証はありませんが、私的には、生命誕生とともに存在したと思っています。

 

地球が誕生したのは45億年前です。その時の主成分は、水素(H2)、水(H2O)、メタン(CH4),アンモニア(NH3、酸化炭素(CO)でした。これだけあれば、生命誕生の成分は、十分です。現在、118種の元素が地球上で発見されていますが、我々の身体を構成する元素は、水素(H)、酸素(O)、炭素(C)、窒素(N)で99.3%を占めます。我々の体を細かく細かく分けて、もうこれ以上分けられないという物質が原子(元素)で、身体全部の原子数の63%がH、25.4%がO、9.5%がC、1.4%がNで、これら4つの元素で我々の体の99.3%を占めるのです。

その他カルシウムが0.31%、リンが0.22%、存在しますが、桁はずれに少ない。時々、人体の素朴さと複雑さに感激してしまう。美人とか、かっこいいとか、イケメンといっても、所詮、H,O,C,Nで出来ているのです。

 

みんな!見た目じゃない、中身は、誰でもH,O,C,Nなんだから、みんな同じだ!

 

このH,O,C,Nが、紫外線や宇宙線、自然放電のエネルギーで、くっつき合ったり、離れたり、壊れたりしながら、色々な有機物(炭素を含む化合物)ができた。そして、地球誕生から10億年たった、35億年前に偶然と必然が相まって、最初の生命が海の中で誕生した。生命というからには、自己増殖できなければならない、すなわち遺伝子、DNAが必要です。

 

なぜ、DNAは、2本鎖のらせん構造なのか。紫外線のエネルギーでは1本鎖は切れても2本鎖は切れない。紫外線でDNAの1本鎖が傷害されても、残った正常の1本鎖をお手本にDNAを修復すれば、生き残れるのです。

なぜ、陸上でなくて海水中なのか?---どっちでもよさそうですが、すごく違う!

 

陸上では、強い紫外線や宇宙船が降り注ぎ、火山活動も活発で、生命誕生そして生物が生きていくにはあまりに厳しい状況だったと思われます。

 

また、海水中の方が、紫外線も弱まるし、なんといっても水の中ではいろいろな化学反応が起こりやすいのです。水は、本当に、すごいんです。水は、多くの物質を溶かすので、溶けた物質がお互いに自由に反応し会い(出会い系サイトみたいです)、反応仕合い新しい物質ができては壊れ、ついに生命誕生です。

35億年前の地球は、紫外線はめちゃくちゃ強く、宇宙線もやたら降り注ぎ、雷のような自然放電もゴロゴロ、ピカピカなっていたでしょう、暑かったり、寒かったり、それらの過酷なストレス環境に備え生き抜く物質の備えが必要でした。

 

そうです、ストレスから生き物を守ってくれるHSPが必要不可欠だったのです。

 

よって、最初にできた細胞のDNAにはHSPを作るためにHSPの遺伝子があったに違いありません!

 

2. バンダナ先生がHSPの研究を始めた起源

 

 私は、大学生の頃は生化学を、卒業後の愛知医科大学では、最初、血液の凝固(血液が固まること)・線溶(固まった血液を溶かすこと)の研究をしていましたが、故あって“放射線医学講座”に移籍***することになりました。放射線医学では、治療・生物学・物理学部門があり、放射線生物学を担当しました。

 

最初、がん細胞やがんを移植したマウスの放射線治療*や抗がん剤治療**を研究していましたが、時間的に自由が利く、がんの温熱療法の研究を始め、HSPと出会いました。温熱療法では、1度温熱療法をすると熱に耐性ができ、続いて温熱してもがん細胞が熱に強くなり、死ななくなってしまいます(温熱耐性)。

 

よって、温熱療法は週1回、多くて2回しか実施できません。しばらくしてこの温熱耐性物質がHSPだと判明しました。多くの温熱研究者は、週に何度も温熱療法ができるように、何とか、このHSPをなくす方法を研究していました。 私は、この温熱耐性物質HSPを逆に利用することを考えました。

 

実は、熱刺激で増加したこのHSPは、熱ストレスだけでなく、様々なストレスから細胞を守ってくれることが分かりました。ガン治療にとってはHSPは“厄介者”ですが正常細胞にとっては、ストレスから細胞を守ってくれる“正義の味方”です。

 

 HSPはトランプのジョーカーです。どんなストレスにでもHSPというジョーカーを出せば切り抜けます!

 BJ(ブラックジャック)というJ(ジョーカー)を出せば外科手術で切り抜けます(ダジャレですがBJは好きです)。

 即ち、熱ストレスでHSPを増加させたネズミ(40℃で加温したネズミ)は、熱ストレスに強くなるだけでなく、水浸拘束ストレス(ねずみを固定して水に浸ける)での胃潰瘍や、紫外線ストレス、生物テロ(毒素)、疲労など様々なストレスに強くなる、即ち、HSPにはストレスを防ぐ働きがあるというわけです。

 

 そこで、ネズミを加温してHSPを増やして、ストレス潰瘍の防御実験をしたり、ネズミを温めて、筋肉の疲労実験をしたり、思いつくまま実験しました(著書参照)。 何度も実験し、これは、人にも適用できると確信し、まずは、スポーツ分野での実験を重ねました(オリンピックにも適用)。

 

 当時は、誰も知らないHSPをきっと生物の、ヒトの健康に役立つと確信し、「HSPを市民語に!」と大きな希望をもって研究のみでなく、講演活動、メデイア活動も始めました。

 

 と、ある日、がん患者さんが研究室におとづれ、また、バンダナ先生の人生は、変わっていくのです------続く。

 

 

*マウスの足に移植したがんが放射線を照射すると小さくなることを確認し、最初は、放射線って効くんだと感動したものです。(効かないガンもあるが)

 

**抗がん剤は低用量では効果がなく、適用量でガンは小さくなりますが、高用量投与するとがんが小さくなる前にマウスは死亡し、初めて抗がん剤の恐ろしさを知りました。

 

***人には、大きな転機があります。私にとっては、まずは、「故あっての、故」と「放射線医学講座への移籍」です。血液の研究ではHSPには出会えませんでした。放射線医学に移籍したからHSPに出会えたのです。なぜ放射線医学だったのか、それは、貴重(合格率が近年約24%、当時約16%)な第一種放射線取扱主任者免許を持っていたからです。なぜそんな貴重な免許をもっていたか、---。                                            

 

これは、偶然と必然です。

 

大学4年の夏に受験し、奇跡的に合格したのです(偶然)。

なぜ受験したか、----大学受験で失敗したので、大学院は某有名国立大学へと入学願書を取りに行ったところ、既に願書締め切り、---またもや失敗。

 

仕方なく母校の大学院を受験しましたが、何か自分にやっておきたいと、---なんでも良かったのです、放射線、アイソトープ等全く興味なく、好きではなかったのですが、何しろ難しくて受からないという、そんな困難なものに挑んで見たいとの思いだったと思います。

 

大学4年の夏休み、みんな最後の休みと旅行や遊びに忙しい時に、密かに図書館に通い、なんでこんなことやらなきゃいけないのかと思いつつ勉強していました。(今は、すっかり忘れた)。合格するなど思ってもみなかったので(教授も合格できなかった試験に学生の自分が合格するなんて)、奇跡です。

 

神様は、凡人でも頑張れば奇跡が起こることもあるいうと証を示したのでしょう。おかげで、私は“賢いやつ”と間違えられるようになりました。何はともあれ、この免許は私がHSPと出会う1歩を与えてくれた(必然)と同時に、子供たちの大学学費に貧窮していた時に、この貴重な免許(持ってる人が少ないので)のおかげでアルバイトもでき助かりました。

 

 

バンダナ先生からの結構、真面目な教訓

 

               みなさん、少々辛くても、免許はとっておいたほうが良い!

 

大学生諸君、若者よ!何か1つでもよい、困難なことに挑んでみよう.

 

必ずや、将来、君にとっての偶然が必然になる。